アジアのアートシーン、その中心へ ー
アート・バーゼル香港(Art Basel Hong Kong)
アートフェアから始まる、都市とアートの旅へ|アート・バーゼル香港

構成・文:藤野淑恵
アジアのアートシーンを牽引する国際的アートフェア、アート・バーゼル香港(Art Basel Hong Kong)の2026年版が、香港コンベンション&エキシビションセンター(HKCEC)にて開催される。会期は3月27日から29日、25日・26日は招待制プレビュー。41の国と地域から240のギャラリーが集結する。
アート・バーゼル香港への旅&アートで巡る都市 INDEX
・香港をアジアのアートハブへと導いた転換点
・2026年のアートバーゼル香港における日本の存在感の高まり
・「アートの大海原」をどう泳ぐか。240のブースが織りなす重層的な体験
・3月、香港の街全体がアートに染まる。
・フェアの外側で、アジアの現在地を読み解く M+(エムプラス)
・世界3大オークションハウスが集積する香港
・まるでラグジュアリーブランドの旗艦店。Sotheby’s Maison(サザビーズ・メゾン)
・中環(セントラル)から黄竹坑(ウォンチュックハン)まで 街の中で出会う、ギャラリー最前線
・光と都市の記憶を重ねる作家のアジア初個展 Gagosian Hong Kong(ガゴシアン)
・グローバルとアジアを接続する視点 David Zwirner Hong Kong(デイヴィッド・ツヴィルナー)
・都市の南側に広がる、新たなアートの重心 Axel Vervoordt Gallery(アクセル・ヴェルヴォールト・ギャラリー)
・アジアのアートハブ、香港を巡って
香港をアジアのアートハブへと導いた転換点
アート・バーゼル香港はローカルフェア「ART HK(香港国際アートフェア)」を母体に2013年誕生。それまで欧米主導だったグローバルなアートマップにおいて、アジアを名実ともに「中心地」のひとつへと押し上げる決定的な転換点となった。その影響はアジア各国に広がる。ソウルではフリーズ・ソウルがスタートし、シンガポールではART SG、東京ではTOKYO GENDAIなど、新たなフェアが各地で誕生した。アート・バーゼル香港は、アジア全体のアートシーンを活性化してきたといえる。

後方には香港島の湾仔(ワンチャイ)地区のスカイラインが広がる。
2026年のアートバーゼル香港における日本の存在感の高まり
出展ギャラリーの過半数をアジア太平洋地域が占める構成は、本フェアの大きな特徴だ。アジアの多様な表現を俯瞰できる場であると同時に、世界的なギャラリーも軒を連ねる。確かな審美眼を持つコレクターにとっては、地域性と国際性の双方を一度に見極めることのできる機会といえる。その中で、2026年に際立つのが日本の存在感の高まりだ。出展する日本のギャラリーは前年の24軒から29軒へと増加した。海外ギャラリーの日本拠点も含めると、その広がりはさらに大きい。アジア太平洋地域において、日本のアートシーンが重要な柱であることを改めて示している。
メインの「Galleries」セクションでは、タカ・イシイ・ギャラリーや小山登美夫ギャラリーをはじめ、日本を代表するギャラリーが参加し、国際的に評価を築いてきた作家の作品を紹介する。
Taka Ishii gallery(タカ・イシイギャラリー)

Tomio Koyama Gallery(小山登美夫ギャラリー)

Courtesy of Tomio Koyama Gallery. Photograph by Satoko Nachi
今回初出展となるA Lighthouse called Kanata(ア・ライトハウス・カナタ)も注目される。戦後美術の系譜と若手作家の動向を横断的に提示する構成は、日本における抽象表現への関心の高まりを示すものだ。
A Lighthouse called Kanata(ア・ライトハウス・カナタ)

《Oaxaca Wall》2025年 Courtesy of the artist and A Lighthouse called Kanata
一方で、「Insights」では日本の写真や戦後美術の文脈に根ざした展示が複数展開され、「Discoveries」では新進作家による実験的なプロジェクトが紹介される。さらに、新設セクション「Echoes」への参加も含め、日本のギャラリーは複数のセクションにわたって存在感を示す。

さらに、大型インスタレーションを扱う「Encounters」では、森美術館館長の片岡真実を中心としたキュラトリアルチームが、初めて共同で選定を担う。アジア各地の視点を交差させるこの試みは、日本のキュレーションが国際的な対話の中で果たす役割の大きさを示している。

アート・バーゼルは2021年にスタートした「アートウィーク東京(AWT)」とも連携し、東京のアートシーンの多様性と厚みを国際的に発信してきた。こうした継続的な関係性を背景に、日本は単なる参加国にとどまらないアジアと世界をつなぐ回路の一部として、その存在感をさらに強めている。
Gajah Gallery (ガジャ ギャラリー)


「アートの大海原」をどう泳ぐか。240のブースが織りなす重層的な体験
240のブースが並ぶ会場は、まるでアートの大海原だ。初めて訪れた人はその規模に圧倒されるかもしれないが、まずは著名ギャラリーや関心のある作家のブースなど、どこから見始めても構わない。会場を歩くほどに、未知の表現へと視界が開かれていくはずだ。あるいは「セクション」ごとに視点を切り替えるのも、広大な会場を紐解くひとつの方法だろう。

アート・バーゼル香港は2013年の第1回開催時からGagosian(ガゴシアン)、Hauser & Wirth(ハウザー&ワース)、David Zwirner(デイヴィッド・ツヴィルナー)、Pace Gallery(ペース) といった世界4大メガギャラリーが名を連ね、現在も欧米のトップギャラリーも中心的な役割を果たす。こうしたギャラリーの参加は、このフェアが、世界のアートマーケットにおいて最重要の場のひとつであることを示している。
David Zwirner(デイヴィッド・ツヴィルナー)

《Untitled, c》1964年 © Estate of Joan Mitchell Courtesy of David Zwirner
デイヴィッド・ツヴィルナーのブースでは、ジョアン・ミッチェルやゲルハルト・リヒターといった近現代美術を代表する作家の重要作を軸に、マレーネ・デュマやリュック・タイマンズらによる作品が並ぶ。
Pace Gallery(ペースギャラリー)

一方、ペース・ギャラリーでは、アメデオ・モディリアーニの晩年の傑作が大きな注目を集める。本作は、インスティテュート・レステリーニとの共同企画による2027年ニューヨーク展のプレビューとして展示されるもので、最新のカタログ・レゾネにおいて正式に真作と認定された作品のひとつだ。市場的価値のみならず、美術史的な検証を経た作品の出展は、アート・バーゼル香港が担う役割を象徴するものだ。
改めて会場構成を見渡すと、中核となる「Galleries」をはじめ、全10ものセクションが重層的に展開されている。アジア太平洋地域にフォーカスした「Insights」や新鋭による「Discoveries」、既述の「Encounters」や「Kabinett」など、多彩な切り口が揃う。さらに、デジタルアート特化の「Zero 10」や、過去5年以内の近作に光を当てる「Echoes」の新設により、単なる市場の動向のみならず、表現の変化そのものを捉える構成となっている。各セクションを巡ることで、個々の作品は点から線へと繋がり、現代アートの広大な地図が浮かび上がってくるはずだ。
Lin & Lin (リン リン)

写真は《Shan Shui》2022年 Courtesy of the artist and Lin & Lin.

3月、香港の街全体がアートに染まる。
この熱気は、フェア会場内だけにとどまらない。3月の香港は「Art March(香港藝術三月)」と呼ばれるアート月間。アート・バーゼル香港を核に、美術館や文化機関、ギャラリー、公共空間が連動し、街全体が巨大なプラットフォームへと変貌する。西九龍文化区の「M+」ではフェアと呼応する特別プログラムが展開され、セントラルではガゴシアンやハウザー&ワースといった世界的ギャラリーが重要展示を揃える。さらに、サザビーズやクリスティーズでのオークションやプレビューも同時期に開催される。
セントラルから西九龍、さらに黄竹坑(ウォンチュックハン)へとギャラリーを巡れば、展示のスケールや視点がグラデーションのように変化していくことに気づくだろう。アクセル・ヴェルヴォールトらが拠点を構える新興エリアでは、より実験的で濃度の高い表現にも出会える。3月の香港は、アートを起点に都市を読み解くための最良のシーズンといえる。
フェアの外側で、アジアの現在地を読み解く
エムプラス|M+

西九龍文化区に位置する「M+(エムプラス)」は、アジアの現代視覚文化を包括的に扱う美術館。美術、デザイン、建築、映像を横断する膨大なコレクションは、単なる展示にとどまらず、アジアの視覚文化を再定義する。アート・バーゼル香港の時期には、国際的な来訪者を意識した特別プログラムが展開され、フェアで触れた作家や潮流をより広い文脈の中で捉え直す絶好の場となる。

写真はリウム美術館の展示風景。編集部撮影

2026年3月、美術館の外壁を彩る巨大なLEDファサードでは、アート・バーゼル香港の特別プログラムとしてシャジア・シカンダーによる新作デジタルアニメーション《3 to 12 Nautical Miles》を上映。19世紀の香港と南アジアを背景に、交易と権力の歴史を視覚化するこの作品は、都市そのものを巨大なスクリーンへと変貌させる。館内では、韓国現代美術を代表する作家、イ・ブルの大規模な回顧展が開催中だ。金曜の夜は22時まで開館。フェアやギャラリー巡りの熱気からクールダウンし、静寂に包まれた夜の美術館で作品と向き合う時間は、香港でのアート体験をより深いものにしてくれるだろう。
世界3大オークションハウスが集積する香港
香港がアジアのアートハブとして機能する大きな理由のひとつが、主要オークションハウスの集積だ。2026年3月は、サザビーズ、クリスティーズ、フィリップスの3社が、アート・バーゼル香港の会期に合わせて大型セールを展開する。フェアがアートの発見の場所だとすれば、オークションは価値が可視化される場所。両者が同時に動くこの時期、香港は世界のコレクターが集まるアートの中心地となる。
中でも注目を集めるのが、サザビーズのイブニングオークション。2024年にオープンした新拠点「サザビーズ・メゾン」を舞台に、ジョアン・ミッチェル、常玉(サンユウ)、マーク・ロスコ、草間彌生といった近現代美術の重要作がキュレーション形式で展示される。ジョアン・ミッチェルの《Grande Vallée VII》は、彼女の晩年のキャリアの頂点とみなされている21点の大型絵画シリーズの一つ。2枚のキャンバスを繋ぎ合わせた二連画の見積もり価格は、今季のトップロットである1億1000万~3億香港ドル(約22.2億円~60.9億円)。3月29日午後7時(日本時間)からライブオークションが開始される。

クリスティーズは、中環(セントラル)の新ランドマーク「ザ・ヘンダーソン」にアジア太平洋本社を構える。ザハ・ハディド・アーキテクツが手がけた流線形の建築は、それ自体が都市の新たな象徴だ。アジア進出40周年を迎える2026年は、リヒターや常玉(サンユウ)、草間彌生、ザオ・ウーキーといった巨匠たちの重要作を揃え、近現代美術の王道を提示する。

一方、フィリップスは西九龍文化地区のアジア本社を拠点とする。アート・バーゼル香港の会場やM+に隣接し、フェアとあわせて訪れやすい立地が大きな魅力だ。2026年も若手作家を中心とした“ウルトラ・コンテンポラリー”のセールに注力し、現在進行形の市場の熱量を反映。近年整備が進む西九龍の都市景観とともに、香港の新たなアートの重心を体感できるだろう。
まるでラグジュアリーブランドの旗艦店
サザビーズ・メゾン|Sotheby’s Maison

限られた滞在の中で、オークションハウスの醍醐味を凝縮して味わうならセントラルのサザビーズをおすすめしたい。セントラルのランドマーク・チャーター内に位置する「サザビーズ・メゾン」は、2024年に誕生した新たなフラッグシップだ。金融機関とラグジュアリー・ブランドのブティックが交差する中心地にあり、「閉ざされた」オークションハウスのイメージを覆す開放的な空間設計は、従来の敷居の高さをまったく感じさせない。館内にはオークションの下見展示に加え、即売可能な作品やデザイン、時計、ファッションまでが並ぶ「Buy Now」コーナーが常設されている。

とともに、同作家の5月NYセール出品である《Brown and Blacks in Reds》(写真)も展示されている。Courtesy of Sotheby’s

(約5億7,067万円〜8億1,525万円)Courtesy of Sotheby’s
サザビーズ・メゾンオープン以来、年2回の主要オークション時の恒例企画として開催されるジャンルを横断したキュレーション展示は、下見展示の枠を超え、美術館クラスの展覧会として高い評価を得ている。2026年3月の「beyond the abstract」展では、アジアのオークションに初登場するマーク・ロスコの《#10 》 が、来る5月のニューヨークセールに出品される《Brown and Blacks in Reds》と共に展示された。フェアとオークションが重なり合うこの時期、香港ではダイナミックなアート体験が可能になる。
中環(セントラル)から黄竹坑(ウォンチュックハン)まで 街の中で出会う、ギャラリー最前線
アート・バーゼル香港の会期中、セントラルを中心に各ギャラリーも重要なプログラムを展開する。セントラル地区には、ガゴシアンやハウザー&ワースをはじめとする世界的ギャラリーが集積し、香港のアートシーンの中核を形成している。金融とラグジュアリーが交差するこのエリアにおいて、アートは都市の機能と密接に結びつきながら展開される。
ガゴシアンが2011年から拠点とするペダー・ビルディング、そこから徒歩5分の場所にはアートに特化した高層ビルH Queen’sが位置し、デイヴィッド・ツヴィルナーをはじめとする主要ギャラリーが集まる。さらに、路面にはハウザー&ワースやホワイトキューブ、マッシモ・デ・カルロなどが並び、それぞれがこの時期に合わせた重要展示を展開する。ハウザー&ワースではニコール・アイゼンマンの個展「Fallen Angels」、ホワイト・キューブではエル・アナツイの大規模展示が開催されている。建物の中を上下に移動し、街路を横断することで、異なる文脈の展示を連続して体験することができる。
光と都市の記憶を重ねる作家のアジア初個展
Gagosian Hong Kong|ガゴシアン

セントラルのアートシーンの象徴のひとつが、ガゴシアンが拠点を構えるペダー・ビルディングだ。1924年に建てられた歴史的建造物であり、かつては複数のギャラリーが入居する「垂直のアート村」として知られた場所でもある。現在もガゴシアンはこのビルに大規模な展示空間を維持し続け、アンディ・ウォーホルやサイ・トゥオンブリー、草間彌生といった作家の展覧会を通じて、香港を国際的なアートハブへと押し上げる役割を担ってきた。

2026年3月はメアリー・ウェザーフォードによるアジア初個展、「Persephone」を開催。光と色彩を主題に、ネオンや貝殻、珊瑚といった素材を組み合わせた新作絵画が発表される。ギリシャ神話のペルセポネの物語を軸に、喪失と再生のイメージが描き出される構成だ。展示はジョンストン・マークリーによる空間設計のもと、連続する3つの空間で展開される。それぞれの部屋が次の展示を予感させる構成は、時間の流れを伴う体験を生む。ネオンという技術の歴史と都市の記憶を重ね合わせる試みは、香港という光の都市と共鳴する。
グローバルとアジアを接続する視点
David Zwirner Hong Kong|デイヴィッド・ツヴィルナー)

2026年5月9日まで開催。Courtesy of David Zwirner
デイヴィッド・ツヴィルナー香港は、セントラルのアート集積を象徴する存在のひとつ。2018年、アート特化型ビル「H Queen’s」の開業と同時に、5階と6階の2フロアにまたがるアジア初拠点としてオープンした。天井の高い柱のない空間は、美術館クラスの大型作品にも対応する。2026年3月のアート・ウィーク期間中は、ウォルター・プライスのアジア初個展「Pearl Lines」を開催。もうひとつのフロアでは、ギャラリーが扱う主要作家の作品や、アート・バーゼル香港の出展と連動した展示が行われる。ひとつの建物の中で、新作と歴史的作品の双方に触れることができる構成だ。

© Walter Price Courtesy of the artist and David Zwirner
ニューヨークを拠点とするアーティスト、ウォルター・プライスの新作絵画展は、アーティストにとってアジア初となる個展となる。ソファ、頭部、飛行機、傘などが力強い色彩の中に浮遊するプライスの作品は、抽象と具象の間にあるが、その創作は作家にとっての「物語を語る手段」。アートの大海原のようなフェアとは異なり、ひとりの作家やテーマにじっくりと向き合う時間がここにはある。
都市の南側に広がる、新たなアートの重心
Axel Vervoordt Gallery|アクセル・ヴェルヴォールト・ギャラリー)

写真は2025年の展示風景。編集部撮影
香港島南側の黄竹坑(ウォンチュックハン)は、かつての工業地帯から急速に変化を遂げたアートエリアだ。2016年のMTR南港島線の開通以降、広い空間を求めるギャラリーが集まり、都市の新たな重心として存在感を高めている。その象徴のひとつが、アクセル・ヴェルヴォールト・ギャラリーだ。ベルギーのディーラー、アクセル・ヴェルヴォールトによるこの空間は、工業ビルの上層階に位置しながら、東洋と西洋の美学を融合させた静謐な展示で知られる。外観の無機質さとは対照的に、内部には緊張感のある余白と時間が流れる。

周辺にはブラインドスポット(Blindspot Gallery)、ロッシ&ロッシ(Rossi & Rossi)、ドゥ・サルト(DE SARTHE)といった有力ギャラリーも集積し、大型インスタレーションや写真、アジア美術まで多様な表現が展開される。月に一度の「Southside Saturday」も、このエリアならではの魅力だ。セントラルからはMTRで約10分。フェアの喧騒から少し離れ、より実験的で濃度の高い展示に触れるための場所として、訪れる価値は高い。
アジアのアートハブ、香港を巡って
3月の香港では、アート・バーゼル香港を起点に、都市のさまざまな場所でアートが連続していく。西九龍からセントラル、そして黄竹坑へ。短い距離を移動するだけで、見えるものは少しずつ変わっていく。その変化の中で、いまのアートの輪郭が立ち上がる。フェアを訪れることは、都市を巡ることでもある。アート・バーゼル香港への旅は、その両方を自然に体験できる時間となるだろう。
