小林清親の「光線画」から「新版画」の川瀬巴水まで
―時代の黄昏時に変わりゆく日本の光景を描いた版画の世界
「トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで」が三菱一号館美術館にて2026年5月24日(日) まで開催

三菱一号館美術館で「トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで」が開幕した。明治時代は、近代化・西洋化が進み、江戸時代の風情が急速に失われていく時代。美術においても、写真が日本に本格的にもたらされ、それまでメディアの中心であった浮世絵が衰退する時代であった。
一つの時代が終わり、新しい時代が始まる。その「黄昏」の時代に、光と陰で昼と夜の間(あわい)に束の間のあいだ訪れる「黄昏」時の日本の風景を描いた作品が集結する。
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- 「トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで」
開催美術館:三菱一号館美術館
開催期間:2026年2月19日(木)〜5月24日(日)
小林清親の「光線画」

清親の描く東京の姿は、それとは異なるものであることが分かるだろう。
本展は、開化絵に始まり、幕末から明治期に活躍し「最後の浮世絵師」の一人とも称される小林清親(きよちか)が開化絵の絵師たちの中で成し遂げた独創に触れたあとに、大正から昭和期にかけて描かれた「新版画」と呼ばれる作品群を紹介しています。

National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection
小林清親は、江戸幕府の下級官吏の家に生まれ、江戸幕府の終焉を目の当たりすることとなる。明治時代になると、独学で絵を学び、光と陰の強烈なコントラストで、東京の街並みを描き始めた。「光線画」と呼ばれたこれらの作品群は高い評価を得、今でも清親の代名詞となっている。

National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection
近代化の象徴でもある鉄道を描いた《高輪牛町朧月景》は、ダイナミックな構図で、夕暮れ時に走る汽車のシルエットが浮かび上がる。陽が沈んでから闇夜になるまでのわずかな時間、細やかな濃淡の差で、汽車を細部まで描き出しており、海の水に反射する様子も見事だ。

清親のもう一つの魅力が、火事を描いた作品だ。江戸時代に火事が多発したことは有名だが、明治になってもすぐに堅牢な近代建築になる訳ではなく、しばらくは度々火事が発生した。清親は、夜中に燃え盛る炎、それによって生まれる局所的で強烈な明るさと、濃い陰(影)のコントラストを強調して描き、劇的な臨場感を生み出している。

明治時代の写真と版画-ライバルであり共存する関係
そして、明治時代に撮影された写真も併せて展示されている点も本展の大きな特徴だ。当時の写真と版画の関係は、単に写真が版画にとって代わる、「ライバル関係」だけではない。

失われゆく日本の風景、風俗を残すという点では、両者は互いに影響し合い、補完し合うような関係でもあった。当時の写真は、白黒の写真に手彩色を施すものが誕生するが、これらは浮世絵からの影響である。外国人や観光客が求めるノスタルジックな日本の風景を、写真においても実現しようとした試みと言える。
こうしたノスタルジックな眼差しは、「文明的に遅れた者」という蔑視でもあるのだが、一方で純粋に(いずれ失われることが予感される)日本特有の美を讃えるものでもあった。そうした眼差しは、版画家たちに、彼らの使命を気づかせることにつながったと言えるのだ。


National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection
しかし清親は「光線画」の後、『東京日日新聞』の挿絵などジャーナリスティックな作品を手掛けるようになり、「光線画」は弟子の井上安治に引き継がれた。安治は清親の光線画を真摯に受け継ぐ作品を手掛けたが、わずか26歳で没する。その他には小倉柳村(りゅうそん)という画家も光線画を制作しているが、現存作品はわずか9点のみで、清親との関係はおろか、生没年も不祥だ。
こうして、「光線画」の系譜は幕を閉じることとなる。
「新版画」の誕生―外国人版画家の活躍
浮世絵がメディアとしての役割を終え、「光線画」も途絶えた後、版画に芸術作品としての価値を見出したのが、版元・渡邊庄三郎だ。劣悪な浮世絵が出回る状況を憂いた庄三郎は、良質な浮世絵の創出に尽力する。
そうして誕生するのが「新版画」だ。その代表格として今でも特に人気が高いのが、吉田博や川瀬巴水だが、「新版画」の先駆者となったのは意外にも外国人画家だった。本展では、庄三郎が声をかけ版画制作に取り組んだフリッツ・カペラリ、チャールズ・ウィリアム・バートレットといった外国人画家の作品などが並ぶ。
オーストリア人画家のフリッツ・カペラリが日本に来たのは、明治44(1911)年。幸か不幸か、第一次世界大戦によって帰国することができず日本に滞在している中で庄三郎と出会った。庄三郎はカペラリが描く日本の風俗画に注目し、翌年に新版画12点を完成させた。この数奇な運命によって生まれた版画が、激動の時代の中で独自の輝きを見せる「新版画」の原点となった。

National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection 版元:渡邊木版美術画舗
一方のバートレットは、大正2(1913)年から数年間、夫婦で東洋の旅を始め、2年後に日本で庄三郎と出会った。画家が旅先で描いた水彩スケッチを見た庄三郎は、版画にできると判断し、下絵の制作を勧める。そして画家の出資により、インドや日本の風景を描いた版画21点が完成した。水彩画に由来する明るく軽やかな色彩感覚は、日本の版画に新しい風をもたらした。
「新版画」で版画に目覚めた吉田博
そしていよいよ、「新版画」の二大巨頭である吉田博、川瀬巴水の登場となる。現在の福岡県久留米市に生まれた吉田博は、明治27(1894)年に上京し、洋画を学んだ。やがてアメリカに渡ると、現地で作品を売って旅費を稼ぎ、さらにヨーロッパも旅した。その後も数回の渡米をしており、その間に日本でも受賞を重ねるなど洋画家として着実な実績を残していた。
そんな吉田が、版画を手掛けるようになったきっかけは、大正9(1920)年、明治神宮奉賛会が庄三郎に木版画《明治神宮の神苑》の製作を依頼され、その下絵を描く画家として指名されたことだった。それを機に、吉田は庄三郎の依頼で《穂高山》や、《帆船 朝日》《帆船 日中》《帆船 夕日》などの作品を制作した。その後は、庄三郎から離れ、独自に職人と共に木版画制作を行い私家版を手掛けるようになったが、本展では庄三郎と協働して制作した作品群が展示されている。

National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection 版元:渡邊木版美術画舗
《穂高山》などは、版画とは思えない圧倒的な描写力で、静かながらも見る者を圧倒するような迫力がある。一方で、《帆船》シリーズの細やかな光や水面の表現は、モネが異なる時間のルーアン大聖堂を描いて1日の時間(光)の変化を表現したように、同じ版木で朝、昼、夕暮れの3つの時間の海の光景を描き出している。
日本の叙情的風景を、深淵な青色で描き出した川瀬巴水

National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection 版元:渡邊木版美術画舗
展覧会の最後は、「新版画」を代表する画家・川瀬巴水で締め括られる。巴水が版画に取り組むきっかけになったのは、同門である伊東深水が制作した《近江八景》シリーズだ。近江(現在の滋賀県)の8つの名所、いわゆる「近江八景」を題材とした版画作品を見た巴水は、「自分にもできる」と感じ、取り組み始めた。

National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection 版元:渡邊木版美術画舗
本展ではその《近江八景》に続き、巴水の版画の初期作品である「塩原三部作」、そして巴水の代名詞とも言える『旅みやげ第一集』や『東京十二景』シリーズと展開していく。たとえ現地を訪れたことがなくても、巴水の作品を見れば郷愁を感じずにはいられない。画家はこれらの作品を制作するにあたり、現地を訪ね、自らスケッチをしたことで、それぞれの場所に立ち込める空気感を敏感に感じ取っていたのだろう。空や水面に施された、深い奥行きを感じさせる青色のグラデーションが印象的な巴水の風景は、二度と見ることはできない光景を、まるでタイムカプセルで閉じ込めたかのようだ。

National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution, Robert O. Muller Collection 版元:渡邊木版美術画舗
展覧会のラストには、三菱にゆかりある作品も展示されている。
「トワイライト」――「黄昏」を意味するその響きには、一抹の寂寥感と、束の間の時間ゆえの甘美な陶酔がない交ぜになった、言い表しがたい叙情が込められている。その響きと共鳴するような、寡黙、だけれども豊穣な、幻想にも思えるような風景を描いた画家たちの作品に酔いしれよう。