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いわさきちひろが今、私たちに教えてくれること 【後編】

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」が
安曇野ちひろ美術館にて、2024年6月2日(日)まで開催中

展覧会レポート

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」展示風景より
plaplax (近森基+小原藍) 絵本を見るための遊具 2018年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」展示風景より
plaplax (近森基+小原藍) 絵本を見るための遊具 2018年

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時代を超えて愛される絵本画家いわさきちひろ(1918~1974)の没後50年を記念した展覧会「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」が安曇野ちひろ美術館で開催中だ。

展覧会ディレクターに、絵本の世界にインタラクティブな視点を吹き込むアートユニット・plaplax (近森基+小原藍)を迎え、子供も大人も見るだけでなく参加したくなる、新しい展覧会を開催する。企画協力には京都大学准教授の森口佑介氏を迎え、発達心理学や認知科学の視点も交えてちひろの絵を読み解いていく。

※ 「いわさきちひろが今、私たちに教えてくれること【前編】」(ちひろ美術館・東京)は、こちら >>

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」
開催美術館:安曇野ちひろ美術館
開催期間:2024年3月1日(金)〜6月2日(日)
いわさきちひろ 絵をかく女の子 1970年
いわさきちひろ 絵をかく女の子 1970年
いわさきちひろ 「このあし たん」1969年
いわさきちひろ 「このあし たん」1969年

ちひろの心のふるさとにある美術館

安曇野ちひろ美術館は、1997年にちひろ美術館・東京の開館20周年を記念してオープンした。信州はいわさきちひろの両親の出身地であり、ちひろが幼いころから親しんだ場所でもあった。美術館のある松川村は戦後、両親が開拓農民として暮らした土地で、ちひろは折りにふれてこの地を訪れ、多くのスケッチを残している。 建物は安曇野の自然にとけこみ、周囲には北アルプスを望む安曇野ちひろ公園が広がる。ちひろの作品や人生に出会う場所であるとともに、子どもから大人まで、日常を忘れ、一日ゆっくり過ごすことができる場所だ。

安曇野ちひろ美術館の様子
安曇野ちひろ美術館の様子

2011年からは、女優・ユニセフ親善大使の黒柳徹子が安曇野ちひろ美術館の館長を務めている。黒柳氏とちひろは生前の面識こそないが、いつも身近に感じていたちひろの訃報を知った黒柳氏が遺族に花束を贈ったことから交流が始まった。1981年に単行本として出版され、ベストセラーとなった黒柳氏の自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)の挿絵にも、黒柳が選んだちひろの絵が使用されている。

安曇野ちひろ美術館のロビー。屋根や床の木材には長野県産のカラマツ、壁には近隣地域の花崗岩(かこうがん)を混ぜた珪藻土を使用している。現在は「あ・そ・ぼ」展のためにつくられた遊具や、モビールが展示されている。
安曇野ちひろ美術館のロビー。屋根や床の木材には長野県産のカラマツ、壁には近隣地域の花崗岩(かこうがん)を混ぜた珪藻土を使用している。現在は「あ・そ・ぼ」展のためにつくられた遊具や、モビールが展示されている。
美術館内のキッズスペースには、建築家・中村好文の手がけた子ども用の椅子と、グラフィックデザイナー・イラストレーターの葵・フーバー・河野がデザインした色鮮やかなカーペットが配置されている。
美術館内のキッズスペースには、建築家・中村好文の手がけた子ども用の椅子と、グラフィックデザイナー・イラストレーターの葵・フーバー・河野がデザインした色鮮やかなカーペットが配置されている。
館内におかれた椅子「ララバイ」も建築家・中村好文デザインによるもの。親子ふたりで座ることができる。
館内におかれた椅子「ララバイ」も建築家・中村好文デザインによるもの。親子ふたりで座ることができる。

没後50年を記念した3つの展覧会

ちひろの没後50年を迎える今年、「あそび」「自然」「平和」の3つのテーマの展覧会が安曇野と東京のちひろ美術館で、それぞれ3期に分けて開催される。現在、安曇野では「あそび」をテーマにした展覧会が、6月2日(日)まで開催中だ。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
安曇野ちひろ美術館
「あ・そ・ぼ」 会期:2024年 3月1日(金)~6月2日(日) 【開催中】
「みんな なかまよ」 会期:6月8日(土)~9月1日(日)
「あれ これ いのち」 会期:9月7日(土)~12月1日(日)

ちひろ美術館・東京
「あれ これ いのち」 会期:2024年3月1日(金)~6月16日(日) 【開催中】
「あ・そ・ぼ」 会期:6月22日(土)~10月6日(日)
「みんな なかまよ」 会期:10月12日(土)~2025年1月31日(金)

いわさきちひろと子ども

生涯、子どもを描き続けたちひろ。ちひろは「子どもを描いていると、自分の小さいときのことを自分で描いているという感じがします。」と語っている。1974年にちひろがこの世を去ってから半世紀。世界は大きく変わり、子どもたちを取り巻く環境も変化した。紙芝居や絵雑誌、童話、絵本など、数多くの子どもの本を手がけたちひろの絵には、雨の日に水たまりで遊んだり、掃除の手伝いをしたりと、何気ない行為も〝あそび〟にする子どもの姿が描かれている。子どもを対象に、認知、社会性、脳の発達を研究する京都大学准教授の森口佑介氏は、これは子どもの本質的な部分で、ちひろはその特徴を的確に描いていると語る。本展では遊びながら世界を探索し、知識を獲得していく子どもの様子を、ちひろの絵と発達心理学の両方の視点で追うことができる。

いわさきちひろ そうじをする子ども 『ひとりでできるよ』(福音館書店)より 1956年
いわさきちひろ そうじをする子ども 『ひとりでできるよ』(福音館書店)より 1956年

子どものこころを鮮やかに描く

ちひろは自分の幼少期をイメージした、「ちいちゃん」を主人公にした絵本を6冊制作している。森口氏は、絵本『ぽちのきたうみ』(1973年 至光社)に子どものありのままの心が描かれていると語る。夏休みに祖母の家へ行くことになった主人公・ちいちゃんは、旅先に連れていくことができなかった愛犬のぽちを恋しいがり、手紙を書く。

いわさきちひろ 海の夕焼けと手紙をかく少女『ぽちのきたうみ』 (至光社)より 1973年
いわさきちひろ 海の夕焼けと手紙をかく少女『ぽちのきたうみ』 (至光社)より 1973年

この場面では、部屋の中にいるはずのちいちゃんの姿は白抜きで、背景には彼女が想像した夕焼けと海が広がっている。この絵について森口氏は「子どもの想像が現実を上書きしている様子を表現しているのではないかと考えられる。」と語る。発達心理学では、子どもが他者の存在を想像すると、その想像された他者が現実にいるかのように知覚したり、ふるまったりすることが示されているという。ちひろの絵は、子どもの想像が現実に影響を与えるという、子どもの心のあり方の本質をとらえていた。

この絵本を描くとき、ちひろは自身の子ども時代を思い起こし、そのときの心象を画面に表したのかもしれない。ちひろが子どもの心を豊かに表現することができるのは、親としての目線とともに、いつまでも子ども時代の気持ちを忘れずにいるからだろう。

絵を見ることを「あそび」にする

現在開催中の展覧会では安曇野・東京共にアートユニット、plaplax(プララックス)の近森基+小原藍が展覧会ディレクターを担当し、展示構成やインスタレーション作品の企画制作も手がけている。plaplaxはこれまでも「いわさきちひろ生誕100年 Life展」や「みんなのレオ・レオーニ展」など、絵本関連の展覧会において物語の世界観を理解し、より多くの人を巻き込む体験型のインスタレーションを発表してきた。

今回は新作として《絵を見るための遊具》などを発表。展示室内に点在する遊具はのぞく、くぐる、のぼるなどの仕掛けがあり、子どもたちが遊びながら自然と絵を鑑賞できる場を作り出した。大人と子どもの視点が入れ替わる遊具もあり、年齢を問わずのびのびとちひろの世界を楽しむことができる。

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ  あ・そ・ぼ」  展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍)絵を見るための遊具 2024年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」 展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍)絵を見るための遊具 2024年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ  あ・そ・ぼ」  展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍)絵を見るための遊具 2024年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」 展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍)絵を見るための遊具 2024年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ  あ・そ・ぼ」  展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍)絵を見るための遊具 2024年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」 展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍)絵を見るための遊具 2024年

『絵の具の足あと』は、ちひろの水彩技法のひとつでもある絵の具のにじみに着目した作品。鑑賞者が白い床を歩くとピアノの音が鳴り、歩いた軌跡に絵の具のにじみがポタポタと現れては消えてゆく。作品の中には、ちひろが好んだ8色の色彩がにじみとなって再現される。

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ  あ・そ・ぼ」  展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍) 絵の具の足あと 2018年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」 展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍) 絵の具の足あと 2018年

また、ちひろが文章も手がけた絵本『あめのひのおるすばん』(1968年 至光社)に着想を得た作品もある。絵本の中では小さな女の子が雨の日にお母さんを待って一人で留守番をしており、その心細さや雨に対する感覚、母親への思いなど、女の子の繊細な心の動きがぼんやりとした水彩絵具のにじみによって表現されている。従来の物語絵本とは異なり、説明的な描写をそぎ落とし、にじみや余白を生かした絵で展開する「感じる絵本」ともいわれる作品だ。

いわさきちひろ 窓ガラスに絵をかく少女『あめのひのおるすばん』(至光社)より 1968年
いわさきちひろ 窓ガラスに絵をかく少女『あめのひのおるすばん』(至光社)より 1968年

雨の日のちひろのエピソードとして、東京から信州の松本へ帰る列車の中で、自席の曇った窓ガラスに絵を描いていると、ほかの席人からも「こっちの窓はまだかけるよ」と声がかかり、次々と絵を描いて回ったため、一車両の窓いっぱいにちひろの絵が描かれた列車が走っていたというエピソードがある。plaplaxは絵本とこのエピソードから着想を得て、壁面の曇ったガラス窓をイメージしたスクリーンに触れると、きゅきゅきゅという音とともに曇りが消え、ちひろの絵が浮かび上がってくるインスタレーション《まどのらくがき》を制作した。まるで、ちひろの絵本の物語に入り込んだような体験を味わうことができる。

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ  あ・そ・ぼ」  展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍) まどのらくがき 2024年
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」 展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍) まどのらくがき 2024年

他にも、『ぽちのきたうみ』『となりにきたこ』『ことりのくるひ』(共に至光社)の3冊のモチーフが組み込まれた《絵本を見るための遊具》も設置されている。この3冊は自由に読めるよう、作品内の本棚にも設置されている。子どもたちはトンネルをくぐったり、覗き穴を覗いたりして遊ぶうちに、自然と絵本の世界に入り込むことができる。体全体を使ってちひろの絵本の世界で遊ぶ作品だ。

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ  あ・そ・ぼ」  展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍) 絵本をみるための遊具 2018年 ちひろの絵本の空間を遊具として再構成した作品。
「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ」 展示風景より。
plaplax (近森基+小原藍) 絵本をみるための遊具 2018年 ちひろの絵本の空間を遊具として再構成した作品。

ちひろ美術館は、世界最大規模の絵本原画を有する美術館として、ちひろのほかにもエリック・カールや赤羽末吉など、世界中の様々な絵本作家の原画が展示されている。緑に囲まれた環境で、のびのびと過ごすことのできる安曇野ちひろ美術館。忙しい日々の中で忘れかけていたものを、改めて思い出させてくれるかもしれない。ちひろの世界を楽しみながら、絵の中の子どもたちとともに、自身の子ども時代に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

安曇野ちひろ美術館
「あ・そ・ぼ」 会期:2024年 3月1日(金)~6月2日(日) 【開催中】
「みんな なかまよ」 会期:6月8日(土)~9月1日(日)
「あれ これ いのち」 会期:9月7日(土)~12月1日(日)

ちひろ美術館・東京
「あれ これ いのち」 会期:2024年3月1日(金)~6月16日(日) 【開催中】
「あ・そ・ぼ」 会期:6月22日(土)~10月6日(日)
「みんな なかまよ」 会期:10月12日(土)~2025年1月31日(金)

「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ」特設サイト
https://chihiro.jp/2024kodomo/
美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
安曇野ちひろ美術館|Chihiro Art Museum Azumino
399-8501 長野県北安曇郡松川村西原3358-24
開館時間:10:00〜17:00
休館日:水曜日(祝休日は開館、翌平日休館)

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