空前絶後のスケールで体感する空海の足跡と密教世界
生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」が、奈良国立博物館にて2024年6月9日(日)まで開催
内覧会・記者発表会レポート 一覧に戻るFEATURE一覧に戻る
「かつてない空海展となる」。
空海(774~835)の生誕1250年を記念し、奈良国立博物館が総力を挙げた特別展「空海 KUKAI-密教のルーツとマンダラ世界」展。事前の記者発表で館長・井上洋一氏が発した「かつてない」というフレーズは、展覧会を紹介する際のキャッチフレーズとなった。これまで何度も展覧会で取り上げられてきた「空海」あるいは「密教」だが、何がどう展示されれば「かつてない」展覧会となるのだろうか。
そうした期待は、プレス内覧会の取材申し込みの数に表れた。正倉院展をも凌ぐ勢いの申し込みとなり、注目度の高さがうかがえる。しかし、主催者が「かつてない」と豪語すればするほど、そのハードルも上がるというものだが、はたしてどうか。
結論から言えば、空前絶後ともいえるスケールの展覧会であった。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」
開催美術館:奈良国立博物館
開催期間:2024年4月13日(土)〜6月9日(日)
破格のエリート・空海の生涯
展覧会を紹介する前に、簡単に空海の経歴を振り返ろう。
774年、讃岐に生まれた空海は、15歳で京に出て仏教を学ぶ。31歳の時に得度して正式な僧となると、その年に遣唐使船に乗って中国・唐に入る。そこで師となる恵果と運命的な出会いを果たし、恵果から3ヶ月で密教の教えを学び修めると、胎蔵界・金剛界の伝法灌頂を受ける。空海の修業の尋常ではない速さに驚くばかりだ。
そして、入唐からわずか2年後の33歳の時に日本に戻る。本来20年間の滞在期間を大幅に短縮するというタブーを犯してでも空海が帰国したのには、直前に亡くなった師からの「すぐに帰国して日本に密教を広めよ」という遺志があったからである。「生きて日本に密教を広める」という強い使命を持った空海は帰国後、高雄山寺や東寺を活動拠点とし、人々の救済と護国を願って密教の普及、教義の体系化に努めた。
密教世界を全身で感じる
空海がもたらした密教は、その教えを言葉で説明することは難しく、絵や図を用いて体感的に理解することを方針にしている。曼荼羅はその最たる例だろう。そのため本展では、密教世界を大空間の展示室で体感することから始まる。この第1展示室が、館長をして「かつてない」と言わしめる理由の1つだ。
まず目に飛び込んでくるのが、京都・安祥寺に伝わる国宝《五智如来坐像》。中央に大日如来坐像が鎮座し、その四方を阿閦(あしゅく)如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北)が囲み、それぞれの方角を見据えるように座す。言葉で説明されなくとも、この5軀のみほとけの静謐で神々しい姿によって、この世界の隅々まであまねく照らし守護していることを感覚で理解できる。
その奥では、通称「血曼荼羅」と呼ばれる重要文化財《両界曼荼羅》(和歌山 金剛峯寺)が、密教法具と共に展示室空間を荘厳する。胎蔵界の世界を表した「胎蔵界曼荼羅」と、金剛界の世界を表した「金剛界曼荼羅」、その2つを一対として組み合わせたものを両界曼荼羅という。
そして、《五智如来坐像》を挟んで両端の壁には、国宝《十二天像》(前期:奈良 西大寺、後期:京都国立博物館)や《真言八祖像》(前期:室生寺本、後期:神護寺本、重要文化財)などが展示され、密教の大宇宙というべき空間となっている。
ちなみに、本展では音声ガイドの利用もおすすめしたい。高野山金剛峯寺409世座主の稲葉義猛御前の声明のトラックもあり、耳からも密教の世界に没入できる。密教の広く深い宇宙を体感してほしい。
修復後初の一般公開《高雄曼荼羅》
これだけでも十分な体験だが、さらに注目したいのが神護寺に伝わる国宝《両界曼荼羅》、通称《高雄曼荼羅》だ。約6年の修復期間を終え、この度修復後初の一般公開となる。現存最古の両界曼荼羅である本作は、空海が制作に携わったことが分かっている現存唯一の曼荼羅だ。
まず約4m四方という大きさに驚く。赤紫の綾地に金銀泥で描かれた図様は随所に欠損があり、すべての図様がはっきりと確認できる状態ではないが、残った図様を見れば1つ1つの仏の品格ある姿で表されていることに気づく。これらの図様は空海の師である恵果から授けられたもの(あるいはそれを転写したもの)を踏まえていると考えられており、空海が日本に密教をもたらした当初の図様を最も正しく反映していると言える。
また本作が展示されている部屋では、併せて空海が日本に帰国した際に唐から請来したとされる貴重な法具や仏像なども展示されており、まるで約1200年前の「密教伝来」を追体験するかのようだ。
陸と海、2つのシルクロードで伝わった密教
密教は、インドから中国、中国から日本と単線的なルートで伝わった訳ではない。そもそも密教は元々「大日経」と「金剛頂経」という2つの異なる経典があり、それぞれ前者が陸路、後者が海路によって伝播していった。その2つの経典を空海の師である恵果が1つの思想として融合し、それを空海に伝授し、空海は日本に「密教」として広めたのだ。
本展では、中国から請来された《梵夾》(ぼんきょう)が展示されている。ここには、「大日経」に登場する真言が梵字で書かれている貴重な品だ。随所に漢字も見られるため、唐で作成されたものと考えられるが、サンスクリット語で書かれた「大日経」が現段階で確認されていないため、非常に貴重で重要な意味をもつ。インドから唐に梵夾がもたらされた頃、サンスクリット語で書かれたものを真似て製作されたのだろう。インドから中国へ密教が伝わるまさにその瞬間を思わせ、小さな紙片に悠久のロマンが溢れている。
インドネシアの密教の宇宙
陸、そして海のルートによって広まった密教の諸様の1つとして、本展ではインドネシアから発掘された密教の仏像が展示されている。日本の仏像とはまた一風異なるエキゾチックな諸仏の姿に、第一展示室で感じた荘厳な雰囲気とは違う、不思議な高揚感を覚える。
教科書にも載る名品の数々も展示
「弘法も筆の誤り」ということわざもあるように、能書家で「三筆」の1人として知られる空海。帰国後に活動の拠点とした教王護国寺(東寺)、高雄山神護寺、高野山金剛峯寺などに伝わる空海直筆の書状や目録なども多数展示されている。
詩文などが認められた『性霊集』、『三教指帰』、『風信帖』といった教科書でも紹介される空海の代表的な書のほか、帰国の際に持ち帰った文物を記録した国宝《弘法大師請来目録》や、帰国後に行った灌頂法会の儀式を記録した重要文化財《伝法灌頂相承略記》(京都 教王護国寺)など、貴重な資料が並ぶ。これらの資料では、ぜひ内容と共に空海の思いの丈が詰まった書の力強さにも注目したい。
弟子の死に打ちひしがれる空海
並外れた頭脳明晰さと密教への厚い信仰心から、己にも他者にも厳しいイメージを持ってしまいがちだが、『性霊集』巻八には自身の実の甥で信頼のおける弟子でもあった智泉(ちせん)が亡くなった際に、悲しみに打ちひしがれる空海の言葉が漢文で綴られている。その一文には「哀れなるかな、哀れなるかな、哀れの中の哀れなり。悲しきかな、悲しきかな、悲の中の悲なり」という技巧も修辞もなく、ただ死を悼み、ひたすら嘆いた言葉が残る。空海がこれほどまでに率直な思いを綴るのは珍しい。その言葉には、宗教家である前に一人の人間としての空海の姿がみえるようだ。
空海最後の理想郷・高野山、そして弘法大師信仰へ
鎮護国家のため密教の普及に努めた空海だが、1人の宗教家としては静かに修行を積める場所を求めた。それが高野山だ。816年、43歳の時に高野山に道場を開き修行する申請を出し許しを得、この地に自身の理想とする寺院を作り上げていく。そしてそこから約20年後の835年、空海は入定(にゅうじょう)する。その後、「弘法大師(空海)は今も奥之院で生きていて平和のために祈っている」という弘法大師信仰が全国に広まった。展覧会はその金剛峯寺に伝わる仏画・法具、そして弘法大師信仰を物語る作で締め括られる。
“かつてない“と謳った本展は、その言葉に違わず、いやその言葉では表現し尽くすことはできないほどの豊穣で、深遠な密教世界に導いてくれる。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
- 奈良国立博物館|Nara National Museum
630-8213 奈良県奈良市登大路町50番地
開館時間:9:30〜17:00(最終入館時間 16:30)
定休日:月曜日、5月7日(火) ※ただし、4月29日(月・祝)、5月6日(月・休)は開館