FEATURE

綿密な取材によって描き出す
写実画家の「眼」の裏側を覗く

東京・府中市美術館で、諏訪敦『眼窩裏の火事』展が2023年2月26日まで開催

展覧会レポート

《father》1996年 パネルに油彩、テンペラ 122.6×200.0cm 佐藤美術館寄託
《father》1996年 パネルに油彩、テンペラ 122.6×200.0cm 佐藤美術館寄託

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構成・文 澁谷政治

まるで写真のような絵画。緻密な現代写実画家として知られる諏訪敦の大規模な個展「諏訪敦『眼窩裏の火事』」が、2023年2月26日まで、東京の 府中市美術館 で開催されている。武蔵野美術大学の教授でもあり、アカデミックな視点を合わせ持つ諏訪のユニークな個展のタイトルは、人間の前頭部にある「内側眼窩前頭皮質」が「美」を感じる部位であるとした、神経美学の石津智大氏による研究成果、そして自身が悩まされる視界に「火事」のように揺らめく閃輝暗点(せんきあんてん)の症状からインスピレーションを受けたものである。心に訴えかけてくるような人物画などが印象的な諏訪の最新作品も堪能できるこの機会に、東京西部の緑豊かな府中の森公園にある府中市美術館へ足を延ばした。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
諏訪敦「眼窩裏の火事」
開催美術館:府中市美術館
開催期間:2022年12月17日(土)〜2023年2月26日(日)
府中市美術館入口 筆者撮影
府中市美術館入口 筆者撮影

裸婦など人物画で語られることの多い諏訪敦は、綿密で膨大な取材により作品を描き出すことでも知られている。彼の名が広く知られた契機の一つが、2008年ボリビア・ウユニ塩湖での不慮の事故で逝去された、婚約直後の若い日本人女性の遺族からの依頼で制作された作品、「恵里子」である。今回本作品の展示はないが、この制作過程は当時NHKでもドキュメンタリーとして放映され、大きな反響を呼んだ。肉親をデッサンし、彼女の面影や特徴を捉えようと試みる。義手メーカーに想像の彼女の義手制作を依頼し参考にする。衣服や持ち物などとともに、彼女の記憶や思いを反芻する。私自身もこの事故の関係者と接点があったことから、今なお忘れられない衝撃的な事故だが、諏訪の画集『どうせなにもみえない』の中で、凛と前を見つめる彼女の瞳に、鎮魂の念を感じずにいられない、心を動かされる作品の一つである。

会場風景(《HARBIN 1945 WINTER》展示遠景) 府中市美術館提供
会場風景(《HARBIN 1945 WINTER》展示遠景) 府中市美術館提供
《依代》2016-17年 紙、パネルにミクストメディア 86.1×195.8cm 個人蔵
《依代》2016-17年 紙、パネルにミクストメディア 86.1×195.8cm 個人蔵

本展覧会は三部で構成されており、まるでジャーナリストのような姿勢で作品テーマに挑む諏訪の制作の軌跡を追うことができる。『第1章 棄民』は、父を描いた<father>シリーズと、祖母をテーマとした<棄民>シリーズが中心となっている。病床に臥した父を客観的に描いた作品「father」。入院先の一コマを淡々と切り取った写実の背後には、突然直面した事態に困惑する息子と父との距離感も浮かび上がる。やがて他界した父の遺品の中に、知られざる家族の過去、満州・ハルビンの難民収容所で無念の死を遂げた若い祖母と当時幼い叔父の存在を知り、諏訪は旧満州地域を訪れ取材を開始する。2012年当初の訪問は、現地側では慰霊の旅と受け止められ、父の視点を辿る目的としては満足の行くものではなかった。しかし、諏訪はその後も取材を重ねていく。知り得た情報の断片から形成されていく祖母と叔父の輪郭は、顔を剥ぎ取られたような母と子を描いた「棄民」、悲しく瘦せ細った女性像「HARBIN 1945 WINTER」などの作品へと繋がっていく。丁寧に描かれた人物像の顔面に突如襲い掛かる闇のような描写に、悲しみ、怒りという感情が浮き彫りになる。この<棄民>シリーズでは、いずれも正視するのも耐え難い姿の女性が描かれている。一方、この苦難の女性像の尊厳を取り戻したいと、本来彼女の持つ美しさを同じポーズで描いた作品「依代」も制作された。そこには絵画の中においても彼女の悲憤を癒そうとする優しいまなざしが感じられる。取材で辿った諏訪の心の変遷を感じるような展示である。

《まるさんかくしかく》2020-22年 キャンバスに油彩 50.0×72.7cm 作家蔵
《まるさんかくしかく》2020-22年 キャンバスに油彩 50.0×72.7cm 作家蔵
《目の中の火事》2020年 白亜地パネルに油彩 27.3×45.5cm 東屋蔵
《目の中の火事》2020年 白亜地パネルに油彩 27.3×45.5cm 東屋蔵

『第2章 静物画について』は、2020年美術誌『芸術新潮』で連載された、デザイナーの猿山修、森岡書店の森岡督行と結成したユニット「藝術探検隊(仮)」による静物画に対する試みにて制作された作品を中心に展示されている。西洋美術史では歴史画、肖像画などと比較し最下位の地位にあると言われる静物画を、江戸時代の禅僧・仙厓義梵の禅画「〇△□」や、明治初期の画家・高橋由一の作品「豆腐」などから着想を得て、諏訪らしい解釈で見つめ直した作品群である。暗い濃紺地の壁面に囲まれた中に、絞られた照明で浮かぶ静物画の展示が美しい。展示される「目の中の火事」などの作品には、写実的な静物の中心部分に、彼の眼窩における血流異常の視覚症状、閃輝暗点の白い靄がそのまま描かれている。現実の中にある虚構のようなアクセントにも感じられるが、これが彼の見ている実際の視界という点が興味深い。

会場風景 府中市美術館提供
会場風景 府中市美術館提供

暗い静謐な空間を抜けた最後のテーマは、『第3章 わたしたちはふたたびであう』。入口には、若くして逝去した医学生の肖像画依頼時に、参考として作成された上半身の石膏像が飾られている。こうした丁寧な作画準備の姿勢は、大学生時代に出会ったジャーナリスト・佐藤和孝の影響も大きいと言う。会場には佐藤和孝や、シリア内戦の凶弾に倒れたジャーナリスト・山本美香、そのほか女優・峯村リエらの肖像画が並ぶ。また、依頼主が途中で亡くなり制作の中断を余儀なくされた作品「ふたり」。展示では図録収録後に進行した段階となっており顔面の一部が削られている。展示後にはまた継続して筆を重ねていくというこの作品のように、長い時間をかけて制作される諏訪の作品には、こうした未完成のものも多くあるという。

《Mimesis》2022年 キャンバス、パネルに油彩 259.0×162.0cm 作家蔵
《Mimesis》2022年 キャンバス、パネルに油彩 259.0×162.0cm 作家蔵

そして、諏訪敦の作品の代表格でもある大野一雄の肖像。「ラ・アルヘンチーナ頌」「わたしのお母さん」などの前衛舞踏作品で知られる世界的な舞踏家である。1994年から2年間スペインで過ごした諏訪は、西洋と日本の様々な違いを体感する中で、日本人のパフォーマーとして国際的に高く評価される大野に感銘を受ける。何度も本人への取材を行った一連の作品は、100歳を超えた晩年の老いまで丁寧に描かれていく。本展覧会のメインビジュアルにもなっている最新作「Mimesis」は、大野一雄のパフォーマンスを再現する舞踏家・川口隆夫の身体表現がテーマとなっている。世代の異なる大野と川口の二人がシンクロしているような数多の腕や顔の一部。図録の解説では、川口自身の残像とも捉えられるという見方も示唆している。しかし、私個人としては、やはり大野一雄に“ふたたびであう”感覚、そして生死をも超えて今なお新たな舞踏を生み出している姿に思えてならない。私自身も学生時代にダニエル・シュミット監督のドキュメンタリー映画『書かれた顔』で美しく踊る大野一雄に魅せられ、車椅子でも踊り続ける晩年の彼の舞台を鑑賞したことがある。尊敬の念とともに描かれた大野一雄の晩年の姿は貴重な彼の人生の記録とも言える作品だが、「Mimesis」は記憶と芸術が融合する諏訪の表現哲学を表している作品とも感じられる。

《Solaris》2017-21年 白亜地パネルに油彩 91.0×60.7cm 作家蔵
《Solaris》2017-21年 白亜地パネルに油彩 91.0×60.7cm 作家蔵

ジャーナリストのように丹念に人物像を炙り出し、文字ではなく写実画で伝える。それはノンフィクション小説でもカメラマンの記録でもなく、あくまでも絵画という芸術表現である。しかし、取材で知り得た情報が、描かれた人の思いに深みを与え、対象者を知る人が見れば、彼/彼女ならそうするであろうと分かる表情、動作として心を動かされるに違いない。それが諏訪敦の取材の力、作品の魅力となっているのだろう。どの作品も美しく、高い写実技術の作品としても見ていて飽きない。しかし、その背後に浮かび上がる人々の思い、そして画家の「眼」の奥に揺らめく光を想像しながら、是非この『眼窩裏の火事』展を堪能してほしい。

澁谷政治 プロフィール

北海道札幌市出身。大学では北方圏文化を専攻し学芸員資格を取得。大学院では北方民族文化に関する研究で修士課程(観光学)を修了。メディア芸術やデザイン等への関心のほか、国際協力関連業務による中央アジアや西アフリカなどの駐在経験を通じて、シルクロードやイスラム文化などにも関心を持つ。

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